座談会「地上生活と霊界を考える」

 今年6月10日は、第25回「全国統一慰霊祭」が行われます。「全国統一慰霊祭」を迎える
に当たり、「地上生活と霊界を考える」というテーマで座談会を行いました。
参加者は、酒井達夫さん(1800家庭、愛苑会理事)、山科文子さん(6000家庭、カウン
セラー)、細田モモ子さん(霊肉祝福家庭)です。
 酒井さんは、4年前に奥様が突然、くも膜下出血で昇華されました。山科さんは、病院でカウ
ンセラーとして20年近く活躍しています。細田さんは、16年前にご主人を失い、1999年に
霊肉祝福を受けました。以下は、4月26日、本部教会で行われた座談会の内容を整理した
ものです。(ファミリー2007年6月号文責・編集部)

【出席者】
酒井達夫(1800家庭、愛苑会理事)
山科文子(6000家庭、カウンセラー)
細田モモ子(霊肉祝福家庭)
司会 本誌編集長 武田吉郎

 司会 文亨進様が三月下旬に来日され、教会を公式的に初めてご訪問されました。随行した
堀正一・二世局長(現成和局長)の証しの中には、次のような内容がありました。
 「ある時、朝の証しの際に、家族に先立たれた苦しみを訴えた婦人がいました。亨進様は、
黙って聞いておられましたが、終わった後に『あのような話は、食口全体が聞く必要がある。
逆説的だけれど、人は死に直面したとき初めて、生について学ぶのだから。』とおっしゃい
ました。」(『ファミリー』2007年5月号参照)
 亨進様ご自身も、1歳年上の榮進様が1999年に昇華されてから、とても変わられたと伺った
ことがあります。真の父母様は、み言の中で「神様と霊界をよく知らなければならない。」と何度
もおっしゃっています。そこで、霊界に関するお父様のみ言の中で、最近、特に実感することが
あればそのことからお話しください。

 酒井達夫 死は終わりではなくて、昇華した妻が霊界で生きていて、摂理に対して非常に前向
きな形で応援してくれていることを感じます。これは、わたしだけでなく、時代的な恩恵として
多くの昇華者家庭が経験されています。3千億の絶対善霊が地上に働いているという真の父母
様のみ言のとおりであると実感しています。

 細田モモ子 「(霊界に行った夫と)一緒に住める。」というみ言が正にそのとおりであると感じ
ています。昇華者は、地上にいる家族と一緒に住むことができ、話もできると大母様もよく言わ
れました。先ほど酒井さんが言われたように、霊界に行った霊人と会話もできるようになっている
というみ言を思い出します。

 山科文子 み言の中に、「霊界の素晴らしさが分かれば、早く霊界に行きたくなる。」という旨
の内容があります。地上に生きているかたをカウンセリングしている立場からいえば、霊界に行
く前に、地上で幸せを実感しなければならないということです。このことが、真の父母様の願いで
あると同時に、わたしたち自身に託されたことののように思います。

   司会 真のお父様は、「われわれは結局どこへ行くのでしょうか。霊界です。死後の世界で
はありません。なぜ死後の世界になり得ないのでしょうか。愛と関係している世界であるためで
す。愛に永生があるのです。」と語られています。
 永生というのは、神様や男性、女性にあるのではなく、真の愛にあると真のお父様は言われて
います。さらに、真のお父様がとても強調されることは、「1年以内に死ぬものと思いなさい。
この短い時間に皆準備すべきです。このような観念を持って生きなければなりません。できるだけ
短くそれを思えば思うほど、幸福です。短く設定するほど、損害を見ないのです。」というみ言です。
 わたしは、そのみ言を何度も訓読しましたが、なかなか人生を短く設定することができないと言
うのが実情です。

 酒井 そのみ言は、真のお父様から何度も直接、お伺いしました。直接聞いた1人なのですが、
全くそのことを自分のこととして考えませんでした。
 わたしの妻は、4年前にくも膜下出血で突然昇華したのですが、そのとき思ったことは、「自分
の信仰生活においての最大の失敗は、このお父様のみ言を本気で考えていなかった。」という
ことです。
 病院の集中治療室の前で、もう妻は助からないというときに、「ああ、お父様のみ言を本気で
考え、本気で対応してこなかったな。」としみじみ思いました。
 霊界とか死後の世界といえば、氷に閉ざされた、はるか宇宙のかなたにあって、交流できない
世界と思っている教会員が多くいます。
 霊界というのは、実は自分がいる所であって、はるかかなたの世界にあるのではありません。
天国は、神様の愛を中心とした世界ですから、肉身が生きているか死んでいるにかにかかわら
ず、夫婦愛をはじめ4大心情圏をいかに体恤しているかということが問われると思うのです。
 ですから、地上でそのような世界を本当につくっていってほしいと思います。それをやっていな
ければ、急に相手が昇華した場合、非常に困るのです。わたしは、そのことをいつも機会ある
たびに教会員のかたに話ししています。

 司会 酒井さんが、真のお父様の「1年以内に死ぬと思って準備しなさい。」というみ言を、
人ごとのように思っていたのが自分の大きな失敗であったと言われました。では、その失敗を
しないためには、どのようにすればよいのでしょうか? 

 酒井 夫婦がお互いに、昇華について話をすることです。例えば、朝出掛けるときに、これ
で自分の夫(妻)と地上で永遠に会えないかもしれないとすれば、今の状態でいいのかどうか、
自分の心の中でシミュレーションすべきだと思うのです。
 それに、月に1度は、妻(夫)や子供たちに感謝のメッセージを書いておくことです。それが、
遺書になっても構わないように思って記すのです。
 昇華したとときいちばん困るのが、ふさわしい遺影がなくて、スナップ写真を引き伸ばして、
遺影に代用することが多いということです。そのため、あまりふさわしくない遺影が多く見受け
られます。やはり生前、ある程度意識して、自分のアップの良い写真を準備することは、現実
的にはとても大切です。

 司会 細田さんは、ご主人を16年前に亡くされましたが、やはり亡くなったときは相当の
動揺がありましたか?

 細田 とても動揺しました。夫が亡くなって困ったことは、経済的な問題と、人との付き合う
範囲がとても狭くなったことです。夫の死を通して、夫の存在感をとても感じました。

 司会 山科さんは、20年近く、とりわけ癌患者の臨床カウンセラーとして、多くのかたが
亡くなっていく場面を目撃してきました。そのような中で、いちばんどのようなことを感じ
ますか?

 山科 最愛の家族と地上で別れを告げなければならないつらさを抱えたかたがたは、
必死で生きて来た証を捜します。それは喜びであり、感動した思い出です。それが、生きて
いたことを示す最高の勲章だったのです。
 でも残念ながら、勲章が見つからない人もいます。空に輝く星の美しさに感動する暇もなく、
季節ごとに咲く花々の色や香りを愛でる余裕もなく、自分が愛し愛されるゆったりとした時間
を持つこともなく、この世と別れを告げなければならないのです。
 そのような人を霊界に送らなければならない時は、その理不尽さに眠れない夜を過ごした
こともあります。
 生きている時に、もっと感動と喜びを味わってほしかった。これはわたしの思いというより、
神様の叫びなのかもしれないと思うのです。生まれてきて良かったと思っているだろうか? 
統一教会に来て、祝福を受けて、本当に良かったと思っているのだろうかということが気に
なります。

 酒井 それは感動や喜びを地上であまり体験されないで、霊界に行かれたかたが多いと
いうことですよね?

 山科 そうですね。真面目なあまり、そのような喜びや感動をあまり体験されずに過ごし
てきたかたが多くいます。

 酒井 一所懸命に歩んできたけれど、自分自身があまり喜びを感じられなかったということ
だと思います。昇華に直面すると、その人がどのような生き方をしてきたかというのが見える
のです。幸せな夫婦生活をしてきたかどうかが分かります。

 司会 それは、どのような時に分かるのですか?

 酒井 特に帰歓式や昇華式のようすで分かります。これは、祝福家庭としての生活を
どのように過ごしてきたかということと、表裏一体のような感じがします。
 わたしも愛苑会の役員として、いろいろな昇華家庭を訪問したり、昇華式に参加することが
多くあります。そこで感じることは、夫婦、親子がまとまっていると、昇華式に行ってもそれ
ほど悲しみくは感じられません。
 み言によれば、「人が昇華するとき神様は喜ばれ、わたし(神様)の下によく帰ってきた。」
とあります。遺族としては、初めは実際つらいのですが、だんだん時間がたつと、神様は喜んで
迎えてくださっているということを感じるようになるからです。
 山科さんが言われたように、地上において本当にふたりが努力して喜びに満たされていれば、
昇華は喜びの心情を持って送ってあげることができます。でも、そのことが十分にできていない
と、やはり悲しいという思いが強く出てくるのです。

 司会 先ほど酒井さんから、昇華に対してしっかりと取り組まなかったという反省点がありま
した。細田さんは、ご主人を亡くした後、後悔したことはどのようなことでしょうか? 

 細田 自分が足りなかったことを悔い改めました。夫をみ言につなげることができなかった
からです。もっと一所懸命に尽くし、理解してあげればよかったと思います。夫が亡くなってから、
悲しみや苦しみがとても大きかったのです。
 もっと夫婦がお互いに愛し合っていれば、もっと違っていたのではないかと思います。生前、
わたしたち夫婦は、仲が良くなかったのです。
 今は、夫婦愛の完成を目指しています。霊界と地上界が一体であるということを確信している
のです。ですから、寂しいという思いはありません。霊界にいる夫は、こちら(地上)で愛情を
注ぐと、非常に喜んでいることが伝わってきます。

 司会 それは、ご主人が亡くなってからすぐにそのように感じられたのですか、それともある
期間が必要だったのでしょうか?

 細田 期間はかかりました。夫は、1991年に49歳で亡くなり、1999年に霊界の夫と霊肉
祝福を受けました。霊界の夫と一体であることを感じるようになったのは、1、2年前からです。

 酒井 昇華後の数年間というのは、昇華者家庭のほとんどは後悔していると思うのです。何々
をしてあげればよかったとか、自分がもっと気がついていたら死ぬことはなかったのではないか
とか、みんな自分を責めます。
 場合によっては、自分のご主人や奥さんが死んだのは罰によるものであると考える人もいる
のです。そうなると、自分を追い込んでしまい、自分自身も立ち上がれなくなってしまいます。

 山科 先ほど真のお父様のみ言で、「1年以内に死ぬものと思いなさい。(中略)短く設定する
ほど、損害を見ないのです。」ということは、とてもよく分かるのです。
 わたしたち自身が、1年以内に死ぬと思って生きたときには、世界が違って見えます。月が
違うし、雨が違うし、花が違うし、人が違うし、夫が違って見えるのです。

 司会 どうして、山科さんは先ほどのみ言を自分のこととしてとらえることができるのですか?

 山科 昇華するかたをたくさん見てきたからでしょうね。

 酒井 やはり、身近で昇華する人に多く接すると、人ごとでなくなってくるのです。

 山科 最初に、亨進様は「人は死に直面したとき初めて、生について学ぶのだから。」とおっ
しゃったと伺いました。わたしが、多く昇華するかたを通して学んだことは、生きることがどれ
ほど素晴らしくて価値があるかということです。また、家族がどれほど素晴らしいものであり、
友達がどれほど貴重なものであるかということです。

 酒井 普通、昇華家庭のかたは、昇華家庭のデメリットを挙げるのですが、わたしはメリットを
挙げます。最近は、このように考え方を変えました。
 昇華家庭のメリットは何かといえば、人間の肉身は必ず滅びる、人間は死ぬということを人
よりも分かっているということです。昇華家庭は、それが実感として分かるのです。身近で経験
したからです。自分も、いつかは死ぬということが分かるのです。もう一つのメリットは、死の
痛みが分かるということです。
 愛する家族の死が、いかに苦しくつらいことかが分かるので、そのような立場に立っている人
の悲しみや苦しみを理解することができます。
 ですから、昇華家庭の皆さんに聞いても同じですが、テレビを見ても以前よりもすぐに泣いて
しまうことが多いのです。今、山科さんが言われたように、野に咲く名もない花に対しても、生命
を持っている美しさがとても分かるのです。みずみずしさが分かります。

 山科 生命がいとおしく感ずるのです。

 酒井 そのような心情で、もう一度、自分の家族とか周辺の人たちを見詰めていきたいという
気持ちに自然となれるのです。それが、わたしは自分の身近で人を亡くした者のメリットだと思
っています。逆に教えてもらった恩恵です。そういうつらい体験をしていないと分かりません。

 山科 きょうも患者さんと話したことは、どのような昇華式にしようか、どのような遺影にしよう
かとかいうことでした。本当に死が近づいたときは、つらくてこれらのことは話せないのです。
 家族や友人が、1週間とか1か月以内に別れが近づいているときに、昇華式や遺影の話を
するのは難しいのです。ですから、癌のかたでも元気なときに遺影や昇華式、遺言の話をする
のです。
 わたし自身も、遺影を準備しています。わたしと夫の遺影は、いつも分かる所に置いてあり、
子供たちに「もし何かあったら、この遺影を使ってほしい。」と言ってあります。
 いつまでも地上で共に過ごしたいという気持ちは、お互いに強く持っていますが、いつどちら
が昇華しても悔いのないように、ふたりでそのことについてときどき話をするのです。
 そして思い出をたくさんつくっておきます。お互いに忙しくてなかなか夫婦で出掛けることは
難しいのですが、そうであればあるほど時間をあえて取って二人で散歩をしたり、郊外に出掛
けるようにしています。

 酒井 教会員で昇華したかたにも、交通事故による即死とか、心臓、脳疾患系の突然死と
いうのは結構あるのです。それ以外に、癌で亡くなるかたが多くいます。
 癌の場合は、本人の苦しみとか周りの苦しみもありますが、昇華するまでのある期間が与え
られるというのは、夫婦や家族が心を向き合えるという意味で一種の恵みの期間です。
 それまでは、なかなかお互いに仕事で忙しかったりして、お互いが本当に夫婦としてどれほど
愛し合い、会話したかといえば意外と少ないのです。ですから、昇華者家庭に聞いてみると、
癌で一年間入院した期間が、夫婦にとっていちばん楽しかったという言い方をします。

 山科 そうですね。皆さん、確かにそのように言われます。

 酒井 祝福家庭といえども、だんだん夫婦の会話がなくなってきて、それぞれ何を考えている
のか正直、よく分からないという状況に陥ることもあります。
 それが、あと1年で死が避けられないということが分かったときには、本音の部分で深い交流
ができるようになるのです。
 そのような意味では、癌の告知というのはとても重要だと思うのです。ただ、告知しないでいる
場合がありますが、後で恨みになっていることが多いようです。ですから、わたしは、永遠の生命
があるということをはっきりと確信した立場で、はっきりと告知すべきだと思います。
 わたしの場合、妻が倒れて病院に運ばれました。わたしも子供も、その日は地獄を味わい
ました。そのとき、こともあろうに自分の心の中で神様を疑っていたのです。
 「神様、何でこのようなことになるのですか。わたしは何十年も信仰生活をしてきたのに、
あなたは助けてくださらないのですか?」と、本当に泣きたいような思いでした。
 「医療の天使がいるのであれば、妻の頭の中に入って、破れている血管を繕ってくれない
のですか?」という思いにもなりました。
 自分が統一教会に来たことすらも、後悔するほどになったのです。自分が、神様から離れて
しまう期間があったのです。
 ちょうど丸1日たったときに、所属の教域長が来て「神様の目的は、奥様の命を奪うことでは
ありません。」と、言われました。
 子供たちは、その話を聞いているうちに、周りにいたわれわれもびっくりするほど、子供たち
の暗かった顔が瞬間的に霧が晴れるように変わったのです。
 それを見ていて、わたしも「妻の肉身は、いつか土に帰るが、霊人体は神様の下に帰るので
心配はいらない。」と思うことができ、心が楽になったのです。それから妻を病院に任せ、安心
して家に帰ってぐっすり眠ることができました。

 司会 奥さんの突然の昇華にまつわる酒井さんの心情の軌跡についてお話を伺いました。
多くの昇華家庭のかたは、個人差はあっても、そのような心情を通過されたのではないでしょうか。
 昇華というと、興進様の昇華のことを思い出します。真のお父様が興進様が昇華される前日は
「(真の)神の日」で、米国で年頭のみ言を語られていました。わたしは、その映像を見ながら
本当に驚きました。いつもの説教と全く変わらない真のお父様のお姿だったからです。
 興進様がいつ昇華してもいい状況でしたから、真のお父様のごようすのどこか一点でも、
興進様のことが心に引っかかっていると思ってお父様を凝視していましたが、その片鱗も見い
だすことができませんでした。
 時には、参加しているメンバーを笑わせながらみ言を語られていました。いつもの説教と同じ
だったのです。このことは、榮進様が昇華されたときも同じように感じました。
 1984年1月3日に、真の父母様は「愛勝日」を制定されましたが、「愛で死を超える」という
真の父母様の勝利によって、わたしたちに大きな恩恵が臨んでいるということを実感するのです。
そこで、昇華後の恩恵を含めた霊的な体験があればお話ししてください。

 細田 霊的体験といえるかどうか分かりませんが、いろいろとあります。その体験のほとんど
は、夫と霊肉祝福を受けた後のことです。夢に出てくる夫は、とても若い姿です。二十代から
三十代くらいではないかと思います。
 霊肉祝福を受けてうれしかったことは、大母様から相手(夫)が絶対善霊になっていると言われ
たことです。そして、わたしが昇華したときは、「夫が必ず迎えに来てくれるので、心配はいらな
い。」と言われました。
 また「霊界では霊的基準が合わないと永生できないので、基準を合わせてあります。」とも
言われました。そのことを伺って、とても希望に感じ、霊界に行くのが楽しみになりました。
 霊人たちは、霊界で百日修練会を受けることによって、絶対善霊に全部変わるというのです。
ですから、大母様はわたしたちに「生前の悪い(夫)イメージは、絶対に持たないでください。」
と言われました。
 実際、夢に出てくる夫は、生前の姿とは全く違うのです。これは、すべて霊肉界祝福のかたも
同じ体験をされていることでしょう。大母様の言われたことは、本当であると実感し、とても
感謝でした。
 わたしは、霊界における百日修練会を終えた夫を天宙清平修錬苑に迎えに行きました。その
とき、大母様は「『愛の樹』の所に、霊人たちをすべて集めています。」と言われました。 
 そのとき、そこでさまざまな霊的現象が起きたのです。ある婦人は、生前と同じ夫の足音が聞
こえたとか、たばこの匂いがしたなど、自分の夫が現れたと妻でなければ分からないことが現象
としてたくさん起きたのです。
 わたしも、清平から夫を連れて帰ってから、1か月くらいは霊的に夫と一緒に生活したという
感覚があります。夫がいるということが、気配で分かるのです。このことは、やはり霊肉祝福を
受けた人にしか分からないと思います。
 大母様からも「分かるようになっていますから。」と何度も言われました。夫に「あなたは、
どこにいるの?」と尋ねると、必ずその夜、夢の中に姿を見せてくれるのです。
 ある日夫は、「5年間、台湾に行く。」と言って出掛けました。夫がいなくなったことが、
気配で分かりました。なぜ、夫が台湾に行ったのかは分かりません。今は、夫と一緒にいます。
夫は、興進様からいろいろな使命を与えらているようです。

 酒井 わたしが、妻が昇華していちばん最初に妻のことを感じたのは帰歓式のときです。その
とき、「わたしは喜んでいるのよ。喜んでいるのだから、喜んで送って。統一教会に来て、祝福を
受けて昇華するというのは、こんなにすごい立場になっているとは思わなかった。悲しまないで
喜んで送って。」という妻の思いが、ピーンと来たのです。
 それから半年ほどたった2月3日、妻が夢の中で「ただいま。」と言って、アパートに帰ってきま
した。妻は、54歳で昇華したのですが、30歳くらいの年齢で現れ、妻の体に触ることができる
ように思いました。
 そのとき、わたしは何を妻に言ったのかといえば、あまり驚いてしまって「あなたは去年亡くなっ
て尾瀬に埋葬したんだから、死んだ人間が今ごろ生き返っても困るんだけど。」と、わけの分か
らないことを言っていました。

 司会 イエス様が復活して、弟子たちに現れたときの弟子たちに発言に似ていますね。

 酒井 そうです。「あなた、ばかねえ。分かってないのね。」と、妻にぽんと肩をたたかれて
目を覚ましたのです。今の話は夢の話しですが、夢ではなくて本当に妻と話しをしたことがあり
ます。
 それは、わたしだけではなくて、子供たちも「お母さん、若くてきれいだね。」と言っています。
そのように、年輩で昇華したかたも本当に若い姿で霊界にいるということがよく分かります。
真のお父様のみ言のとおりです。
 話は少し変わりますが、わたしの家の近くで最近あった話です。ある実践婦人のご主人が、
末期癌になっていました。
 奥さんは、医師から夫が末期ガンであるという宣告を受けているのですが、夫はまだ半年
くらいは大丈夫だろうと思っているのです。ところが、夫を癌で亡くしているある婦人が、その
ご主人の症状を見て、「そんな悠長なこと言っていられないよ。ご主人にあと余命1か月もない
ということをはっきり伝え、教会の祝福を受けてほしいと伝えたほうがよい。」というアドバイス
を、その婦人にはっきりと伝えたのです。
 夫の命はあと幾ばくもないことを知っているその婦人は、とても葛藤しました。夫に「あなた
は、余命1か月もありません。」と言えば、夫はがっくりきてそのまま死ぬのではないかと思った
からです。でも、決意して婦人の忠告通りに夫に伝えたのです。
 すると、夫は観念して「分かった。祝福を受けるよ。」と言って、教会の入会願書を書き、聖酒式
を受けて祝祷してもらったのです。すると、そのご主人はがらっと変わりました。「おれは死んでも、
おまえと一緒だからな。」と、ご主人のほうから言ってきたのです。それから12日後に、ご主人は
昇華したといいます。
 ですから、死という問題に関して真っ向から向かっていけば、大きな意味での伝道にもなるので
はないでしょうか。

 司会 わたしたちは、どうしても神様の視点で物事を見ることができません。昇華に対しても同様
です。でも、ある期間が過ぎて見ると、過去に起きた出来事の理由が分かってくることがあります。
わたしたちの考えと全く異なった観点と次元から、神様は摂理を展開されていることを感じるのです。

 山科 そう思います。現実問題としては、ショックを受けたりすると思うのですが、何も心配する
ことがないのです。

 酒井 そこに至るためには、悩みと苦しみがあります。最終的には、本当に感謝である、むしろ
これで良かったんだという境地に至るのです。

 司会 そのような心境にまで到達しないと、自分自身の中に恨が残ってしまいます。

 山科 「人生は一度きり。」という言葉は、「死」と向き合っていない人には何でもない言葉です
が、死に直面している人には切実なものです。自分や家族が、もう共に生きていけないかもしれ
ないという現実は、すべてを無機物と化すこともあるほどです。
 自分たちだけが周りとは違って見え、人の表情がとても遠く感じます。いつも見ていた月や花
など自然でさえも、よそよそしく感じるのです。自分以外の皆が、幸せであるような気がして
きます。

 細田 神様を中心として、物事を見詰めることができるようになったときに、本当に喜びが生じて
きます。

 司会 最後に、地上に生きているわたしたちの肉身生活の重要性についてお話ししてください。

 酒井 一か月に一度とか数か月に一度、また誕生日でもかまいませんが、家族で互いに感謝
の手紙を書き合うとか、写真を撮ることは大切なことです。
 書いた手紙が、ときには遺言になってもいいのです。そのような機会を持つことが、とても大切
であると思うのです。ある大学のセミナーの中で、学生に必ず遺書を書かせています。

 細田 死というものの見つめ方を、ちょっと変えていかなければいけないと思うのです。それは、
死が終わりではないということです。
 そうすれば、皆さんが昇華に対して、悲しみではなく喜びを持って迎えることができ、死に対して
も地上で準備していけるようになります。
 妻の立場から、もっともっと生きている夫に対して愛情を注ぐべきであると思います。夫が一所
懸命に働いてくれたことに対して、心から感謝するとか、そのような素直な気持ちを持ち合わせ
ないと、絶対に夫婦愛というのは成立していかないのです。
 わたしは、夫婦がそろっている人たちのほうが、夫婦愛を育むことは容易であると思っていま
した。互いに尽くしたり、愛したり、賛美したり、いろいろ実体で行うことができるからです。
 でも、最近は逆かもしれないと思うようになりました。なぜかといえば、霊界に行って祝福を受け
た人は、非常に清くなっています。祝福を受けた絶対善霊は、地上にいる人とは愛の基準が違う
のです。大母様も、祝福を受けた霊人のほうが清いと言われました。だからといって、早く配偶者
を霊界に送ったほうがいいということではありません。
 ちょっと言い過ぎかもしれませんが、夫を伝道することは簡単にできると思うのです。夫に、一所
懸命尽くします。婦人の中には、教会の責任者の言うことだけを聞いて、夫が夜遅く帰ってきても
食事の準備もしないかたがいます。そして、家の中は片づいていません。
 夫に感謝されるような生活を営むのが、妻の責任です。そうすると、夫は感謝します。うちの女房
は、ちょっといいところがある、かわいいところがあると思うのです。
 そのような実践をしなければ、夫伝道はいつまでたってもできず、愛し合う夫婦にはなれません。
真の愛の重要性は知っているけれども、どこに真の愛があるのかということになります。夫婦愛の
完成を目指していくためには、そのようなことから気をつけていったらよいのではないでしょうか。

 司会 先日、来日された文亨進様は「これからは、み旨か、家庭かではなく、二つの摂理を同時
に進めていける時代になったのです。」とおっしゃいました。わたしたちも、そのようにして行かな
ければならないと言うことです。
 真のお父様は、2001年1月13日「神様王権即位式」をされたとき、天法三か条を発表されま
した。そのとき、その三か条に続いてもう一つ語られたみ言がありました。それが、「他の人が
あのような家庭をつくりたいという模範家庭を築きなさい。」というみ言です。
 このことで思い出すのは、大塚克己会長が説教の中で語られた次のみ言です。「家庭を犠牲に
するということは、家庭全体で祭壇に上ることを言うのである。自分一人で祭壇に上って、祭壇の
下で妻子が見ているというのは、家庭を犠牲にしたことにはならない。」(『ファミリー』2007
年二月号参照)

 山科 病に伏したかたがたに「何が好きでしたか?」と尋ねると「何もなかった。」と答えるかた
が、半分以上おられます。
 この音楽を聴いたら力が出るとか、この本を読んだら勇気がわくとか、この映画が好きとか、
この花が好きというものがないのです。
 好きなものがあれば、闘病生活の糧になります。好きなものと出会うだけで、免疫力が上がり
ます。笑いは免疫力を上げるといわれますが、好きなことをしている時も同じ効果が出るそうです。
 ぜひ元気な時に、自分が何が好きなのか捜しておきましょう。個性真理体である以上、それぞれ
にとってわくわくできるものが必ずあるはずです。
 趣味を持つことに、罪悪感を感じる人がいます。でも、そのように言われるかたよりもはるかに
重責を担い個人の時間も取れない責任者のかたの中にも、趣味を持ちながらみ旨に励んでいる
かたもいらっしゃいます。
 自分を喜ばせて、自分が復活すれば、また人を愛することもできます。自分を喜ばせるという
ことが、非常に皆さんへたなのです。
 神様が、その人に対して喜びや感動を与えようとされも、真面目なせいでしょうか受け取ろうと
しないのです。
 ですから、病気をしたことをきっかけに、人生について考えたり、神様が自分に下さった賜物で
あるとか、家族との関係をもう一回見直すかたもおられます。
 それに、もう一つ皆様にお願いしたいことがあります。それは、今生きているかたも死亡率は百
パーセントなのですから、ぜひ磨いておいていただきたいのが、「ユーモア」です。死に直面した時
にでも、ユーモアは大きな力をわたしたちに与えてくれます。

 酒井 繰り返しになりますが、わたしたちはいつでも家族が昇華してもいいように、親子、夫婦
間において深い交流をしていくことが何よりも重要なことであるということです。
 昇華したとき、教会のかたをはじめ、近くにいるかたが応援態勢を取ってくだされば、これほど
ありがたいことはありません。

 司会 わたしたちは、み言を通して霊界の実相について知ることができました。この一つとって
も、どれほど真の父母様に感謝していいか分かりません。霊界の実相を知っているだけでなく、
地上でどのような生活をしなければならないかについても詳細に知らされています。
 さらに、真の父母様の勝利圏をわずかな条件をもって相続することができます。本当に
ありがたいことです。きょうは、ありがとうございました。

ファミリー2007年6月号