残された聖和者家庭の気持ちについて  愛する家族の死に直面した時、皆さんが感じる共通の感覚があります。病院の集中治療室で、
急に血圧と脈拍が下がりやがて心臓停止となった時、そこにあるのは魂の抜けた肉体のみであ
り、まさに亡き骸なのです。
「私の知っている夫、妻、子供、親はここにはいない。いったいどこに行ってしまったのだろ
う」という不思議な感覚に襲われるのです。とても遺体に取りすがって泣く気にはなれません。

 また、体がとても小さくなったように感じられます。ここから、私たちが普通見ている人間
の姿というのは、霊人体つまり空気が入っている風船みたいなもので、霊人体が抜けた人間は、
空気が抜けてしぼんだ風船のようなものではないでしょうか。
 このごろ、「気が感じられる」とか「オーラが見える」とかいう言葉がよく使われますが、
これもやはり人間の心の様子が感じられての表現だと思います。

 この肉体には、もはや私の愛する人が宿っていないと感じて、「あとはお願いします」と言
って、病院を出てきた人もいます。もちろん、故人がお世話になった肉体ですから、丁重に礼
を尽くし、お祈りを捧げながら帰歓式、聖和式をとり行います。
 この帰歓式、聖和式の前後は、やはり霊的に高められている時ですので、昇華者の存在を霊
的に感じたり、気配を感じたり、物理的な現象(花が揺れる、ろうそくの炎が揺れる)が現れ
たりすることが多くあります。

 地上に残された聖和者家庭にとっては、この期間は人生の中で一番忙しく、悲しんでいる余裕
すらない時間で、食事をすることも考えられない、何がなんだか分からない時間です。一連の
儀式をどのようにしたらいいのか、ほとんど初めての人ばかりですから、同じ教会や霊の血統圏
の経験者や親しい方々による応援体制がとても重要です。
近くの婦人たちが交代で食事を作りに行くとか、葬儀の手配のために男性の能力も必要です。
これは、いずれ誰もが経験しなければならないことですから、皆様よろしくお願いします。

 私にとっては、それこそインド洋沖大津波のような体験でした。何をしていいか分からず、
おろおろしていましたが、深夜病院から遺体を引き取る時に、会社の上司が応援に来てくださり、
メモリアル聖苑さんとの手配や、遺体を家の中にお祭りする手配などをしてくださったのは、
とても助かりました。北の方角を枕にするというのは、初めて知りました。私の兄夫婦が会社
を休んで最初から最後まで一緒にいてくれたのは、とてもありがたいことでした。

 「霊界に行っただけなんだから大丈夫」とか「これからはいつも守ってもらえるからかえって
いいんじゃないの」とかいう教会独特慰めの言葉がありますが、これが残された聖和者家庭に
とっては、違和感のある言葉なのです。
 いくら霊界に行った、名誉ある聖和だと言われても、当事者たちにとっては、心臓から血が
どくどく噴出しているような痛みがあり、肉体が生きたまま引き裂かれていくような辛さが
ありますから、教会員との間に心情的な距離を感じ、それがさらに辛さを増すのです。

 「きっと深い意味がある」とか「尊い供え物になった」などと言うよりも、黙って頭を下げ、
「辛いでしょうけど、がんばってくださいね」という思いを込めてそっと手を握ってもらった
ほうがどれほど嬉しいことでしょうか。

 愛する家族を失ってからは、誰もが色彩の無い世界、喜びのない世界、音楽も聞けない世界
に入ります。亡くなった故人の部屋や遺品を整理することも出来ず、そのままにしていると
いう家庭もあります。このまま時間が止まってしまう人もいます。
 人との交流が途絶え、張り詰めていた心が解けると、ここから本当の悲しみが始まります。
幼い子供たちの前で泣くわけにいかず、トイレや風呂場で毎日泣いている期間がほぼ1年続いた
という婦人もおります。仲の良い、幸せそうな家族連れを見るのが辛く、普通の精神状態に戻る
のには、最低3年はかかります。

 出来ればこの時、近くの先輩聖和者家庭が積極的に交流してあげて欲しいものです。
聖和者家庭は、家族の聖和後、自分の悲しいという気持ちを正直に話す場所が無いのです。
教会では、霊界との交流の証や感謝の言葉を語ることを求められ、はなはだしくは、早く聖和
したのは、先祖の血統的罪が原因だとさえ言われてしまいます。
 ですから、同じ立場を通過した先輩聖和者家庭が、じっくり話を聞いてあげ、悲しかった思い、
辛かった思いを100%語らせて解放させてあげましょう。これが出来れば、早く立ち直ること
が出来ます。
 愛苑会では、毎月第4土曜日午後1時から、新宿の成約ビルで聖和者家庭懇談会を開催し、
聖和者家庭が自分の体験を語り、また情報を交換しあう場所を提供しています。