昇華者家庭として想う 新國正巳(2075双)

昇華者家庭として想う

 私は2075双の祝福家庭です。1991年に母を2004年に一番上の兄を
昇華者として送りました。
 家族の中から昇華者をお送りさせていただいた者として、また、その家族として、
そしてまた、今、メモリアル聖苑の聖業に携わらせていただき、多くの方々の昇華式
のお手伝いをさせていただいた者として、感ずることをお話しさせていただきたいと
思います。

神様がくれた3つの祝日

 私たち人間の親としていまし給う神様、人類を限りなく、こよなく愛する真の親と
していまし給う神様は、私たちの人生において、3つの大きな喜びの日・・・祝日を
与えてくださいました。

 まず、私たちが生まれた日・・・誕生日です。そして、結婚の日。それからもう一つ
・・・そう、死亡の日です。人間始祖アダム・エバが、もし堕落しなかったならば、
これらの全ての日が、祝日となったはずでした。たとえ、死亡の日でさえ、本来は喜び
の日であったはずなのでした。

 もし、そうでなければ、人間が肉体を持つこの世で、幸せな人生を送れば送るほど、
その結末には、悲しい日を迎えなければならないことになってしまうのです。より幸せ
に生きた人は、より悲惨な日=死亡の日を迎えなければならなくなってしまうと言う
人生設計になってしまうのです。もし、神様がそのような設計をされたとするならば、
神様は愛なる親どころか、残酷な神様となってしまいます。それも、人が必ず死を迎え
なければならないとするならば、人生の最後には必ず悲しい結末を迎えなければならな
いと言う・・・非常に残酷な神様になってしまうのです。

 しかし、私たちは残酷な神様ではなく、愛なる、真なる愛なる、親である神様を信じ
て信仰生活を送っているのです。とするならば、私たちが、どう「死」を受け止め、歓び
の日としてその日を迎えることができるか否かは、私たちの信仰生命にも関わる、大切
なことであると思います。

私たちの信じる道

 私たちは信仰生活を歩んでいますが、信仰の道には2つの道があります。ひとつは
自分が幸せになる為の信仰生活、もうひとつは、自分の回りの人たちを幸せにすること
(為に生きること)で、「人の喜びが我が喜びになる」という信仰の道です。当然、
私たちの歩んでいる信仰の道は後者であることは言うまでもありません。

 ある昇華者家庭で次のような話がありました。
昨日まで元気で仕事をしていたお父さんが、ある朝、交通事故で亡くなられました。
本当に誰も予想もしなかった、突然の昇華でした。信仰を持っておられたお父さんの
家族の方々は、それでも、その出来事を信仰的にとらえ、昇華式をもって霊界に送って
あげようとメモリアル聖苑に昇華式の依頼をされたのでした。昇華式のお世話をさせて
いただく中、昇華者の奥様が、親族からさんざん「信仰を持って歩んできた人間が、
なんであんな悲惨な死に方をしなければならないんだ。」「信仰を持ってたってろくな
死に方をしないじゃないか。」と言われたというお話をされていました。

 このお父さんの家庭に限らず、事故などで亡くなった方をはじめ、生後1.5ヶ月の
赤ちゃんや1歳半とか7歳とかの2世の子女、または、生まれてからずっと病気で10代
にして昇華された方・・・様々な方々の昇華式のお世話もさせていただきました。

 愛に満たされた家庭、喜びに溢れる家庭であればあるほど、昇華者がその家庭に出た
とき『何故私の家庭にこんな事が・・・』と言う思いが一瞬はよぎるようです。

必ず迎える昇華の日

 当たり前のことですが、頭だけではなく、私たちが心から理解しなければならないこと
は「昇華の日は必ず来る!」ということ。自分の家族にも、親族にも、知人にも友人にも、
必ず訪れます。遅かれ、早かれ・・・つまり、避けられないのです。・・・問題は「どの
ようにしてその日を迎えるのか?」と言うことです。

 死は必ず訪れるもの、そして、死は悲しいもの。それが今までの私たちの人生の公式で
した。しかし、この公式は神様の御心から出発したものではありません。
 どのような家庭でも、死者を出すと言うことは理屈を越えるものでしょう。10代の最愛
の息子を亡くしたご両親・・・その悲しむ姿は痛々しいものがあります。しかし、それならば、
いくつになって亡くなったら、喜んで送ってあげられるのでしょうか?そうです。いくつ
になって亡くなっても、私たちの生死観を変えない限り「死」は永遠に悲しいことのまま
なのです。

どのようにとらえる「死」の概念

 もうひとつ、私たちがはっきり認識しなければならないことがあります。それは、命の
生と死は、神様ご自身の決定によって定められていると言うことなのです。つまり、神様
の認めがなければ、生も死もないと言うことです。どんなにサタンのザンソ条件があろう
とも、神様が認めなければ、その命を奪うことができません。つまり、神様の許可のもとに
昇華者(死者)がでると言うことなのです。

神様の立場

 それならば、どうして神様は悲惨な死を認めざるを得ないのでしょうか?その状況を
迎える家族をはじめ、多くの人たちが苦しみ悲しむことを知っておられるのにも拘わらず・・・。
 それを考えるときに、私たちは、復帰摂理歴史がどうだったのかを考える必要があります。
 人間始祖アダム・エバの堕落によって人類歴史は出発しました。そして、アベルとカイン
によって、アダム・エバ・天使長の間で起こった内容を復帰しようとされ、その課題の解決
をアベルとカインに託しました。しかし、カインがアベルを殺害することによって、アダム
家庭の復帰摂理は失敗し、歴史的課題の解決は次の世代へと託されました。

 この内容の中で大きなポイントとなるのは、どのような状況の中ででも、人間の責任分担
には、決して、神様は干渉できない・・・したくともできない辛い立場にあると言うことです。

復帰摂理歴史

 アダム家庭で復帰できなかった歴史的課題は、ノアの家庭へ、アブラハムの家庭へと引き
継がれ、ついに、イエス様を経て、再臨のメシヤの時代、今日まで連綿と続いてきました。
 復帰摂理歴史・・・それは、真のお父様の言葉をお借りするならば、「もと返しの歴史」
と言われます。つまり、過去に起こったと同じ状況をもう一度再現して、それを天的に解決
してゆくことで、復帰しようとする歴史であるというのです。

 私たちも、その歴史的課題を解決する代表者として、今現在歴史の先端に立たされていると
言うことなのです。つまり、アダム家庭を中心とする復帰摂理とかノアの家庭を中心とする
復帰摂理と同じように、それぞれの家庭を中心とする復帰摂理があるわけです。例えば、
加藤家を中心とする復帰摂理とか山田家を中心とする復帰摂理、あるいは、○○家を中心と
する復帰摂理というように・・・。

 交通事故でお父さんを亡くされた家庭、生まれながらの障害者として人生を歩み、短い人生
で昇華された二世の子女をもつ家庭。生後5日間でこの地上を去っていった小さな命・・・
様々な昇華者家庭が存在します。どの家庭も涙なしでは語れないような状況です。そこには、
どんな慰めの言葉も、いたわりの言葉も、色あせた絵のようです。

それでも、祝福家庭として、そのような状況の中で、亡くなった人を昇華者として、昇華式
を通して、歓んで天に送る・・・それが、私たちの使命なのです。何故でしょうか?
 例えば、ひとつの例として、障害者として子女が生まれ、3年7ヶ月とう短い命で昇華
された家庭を考えてみてください。どんなに泣いても泣ききれないでしょう。どんなに恨んで
も恨みきれないでしょう。「何故、私たちなのか?」「何故私たちの家庭なのか?」と。
個人的に見るならばそうです。でも、もう少し、先程述べた神様の立場と復帰摂理という
観点から見つめてみましょう。

 私たちは歴史を代表して今ここに立っています。
人類歴史の中で、障害をもった子供を授かった家族が、お父さん、お母さんが、どれ程いた
でしょうか?そして、幼くしてその命が絶えるのを見送らなければならなかった、その無念
の心情、恨みにも似た心の痛み・・・その想いをそのまま抱きかかえて、その子供達の両親は、
家族は、霊界に行ったのです。霊界がどういうところかも知らされずに・・・。そして、
救われることのない痛みの中で、何百年、何千年という霊界の時間の中で、救いの日を待って
きています。誰かがそれを解放してあげなければならない。誰かがその苦しみを喜びに変えて
あげなれければならない。誰かが、その心を抱き、救ってあげなければならない。それが歴史
の最先端を歩む「私」であるというのです。

 復帰摂理・・・それは「もと返しの摂理」。過去に苦しんだ人々の歩んだ道を再現し、それ
を喜びをもって甘受し、苦しみや恨みの霊界を解放する・・・辛いけれども乗り越えなければ
ならない、悲しいけれども復帰しなければならない役目を、神様が「私」に託し、それを担って
私たちは日々の信仰生活を歩んでいます。愛なる神様が好きでそうされるのでしょうか?・・・
もちろん応えは「ノー」です。
そうせざるを得ない神様の立場、ご心情があるのです。

神様のご心情と真のご父母様

 ここで、私がアメリカ、ヤンキースタジアム大会のキャンペーンで歩んだときの体験を少し
皆様と分かち合いたいと思います。
 時は1976年、アメリカバイセントニアル建国200年祭の年です。
縁あってヤンキースタジアム大会前の40日間、私は、幸運にも、真のご父母様の館である
イーストガーデンで働くことができました。その期間、真の父母様との直接の会話やそのご
家族に接し、もし神様が形をもってこの地上に来られたら、この方のような生き方をされる
だろうと言う体験をさせていただきました。

 ヤンキースタジアム大会・・・その大会の総責任者は神山隊長でした。全世界の選ばれた
兄弟姉妹達が結集し、死力を尽くしてキャンペーン成功の為に日夜働きました。その中でも、
特に日本の食口が主力となり、ニューヨークの街はお父様のポスターとビラで埋め尽くされ
ました。
目標は、ヤンキースタジアムを満杯にし、外に溢れさせ、交通麻痺を引き起こすほどにして、
世界の人々が『ニューヨークで話題になっている統一運動とは一体何なんだっ!』と社会
問題までにしようと言うものでした。しかし、ヤンキースタジアム大会には大きな摂理的課題
がありました。

ちょうどヤンキースタジアム大会は1974年に行われたマディソンスクウェアーガーデン
大会に引き続き2番目の大会で、ヤンキースタジアム大会の次にはワシントンモニュメント
大会が続いていました。そして、マディソンスクゥエアーガーデン大会が第一のアダム、
ヤンキースタジアム大会が第二のアダムであるイエス様、そして、ワシントンモニュメント
大会が第三のアダムである再臨主の立場を復帰するものであると、真のお父様は聖日の礼拝
でいつも語られていました。

つまり、第二のアダムであるイエス様の立場という事は、お父様ご自身が十字架にかかる・・
つまり暗殺されるかも知れないと言う非常に厳しい摂理的状況にありました。

 当日、天候は嵐でした。雨は止まず、暴風は吹き荒れていました。
1976年のヤンキースタジアムは再建されたばかりの新しい建物で、もともと野球をする
為につくられた場所ですから、あらゆる状況を想定し、風の影響を受けないような設計をして
建てられたはずでした。しかし、グランドに装飾された200年祭のデコレーションは、暴風
雨によって無惨にも吹き飛ばされ破壊されてしまいました。雨は一向に止みません。お父様の
ご講演の時間は刻々と近づいています。

スタジアムのほとんどの席は空のままです。ともかく、始める準備の為にと、雨具を装着した
ブラスバンドが演奏を始めました。いつもなら楽しく弾けるようなブラスバンドの音楽も、寂
しい響きに聞こえました。と、何処からともなく、誰からともなく、兄弟達の口から「ユーアー
・マイ・サンシャイ」の歌声が流れ始めたのです。それは徐々に大合唱となり、雨の中、スーツ
姿の私も夢中で、下着までびしょ濡れになるのもかまわずに、無心に歌いました。

そしたらどうでしょう!お父様のご講演の時間に、ヤンキースタジアムの上だけ、ポッカリと
晴れたのです。薄い雲の中から太陽まで顔を出すようになり、お父様はご講演を無事終える事
ができました。
 スタジアムは80%を越える人々が席を埋めていました。お父様のご講演が終わると同時に、
また、ポツリポツリと雨が降り出し、やがて、大雨となりました。ちょうどモーセの紅海の時
のシーンを思わせました。

 その晩は恒例のポスター剥がし、街中を徹夜で掃除をし、翌朝は快晴となりました。ベルベ
ディアにて祝賀のパーティーがありました。お父様がみ言葉を語られ、集まっている兄弟姉妹
達を祝福して下さいました。アメリカの兄弟姉妹、ヨーロッパからの、アフリカからの、アジア
の兄弟姉妹、中東からの兄弟姉妹・・・そこに集まった兄弟姉妹・・・皆、輝いていました。
お父様は言われました。

 「皆さんの勝利に神様はプレゼントを用意しています。皆さんは大きなプレゼントが良い
ですか?小さなプレゼントが良いですか?」
 「大きなプレゼントが良いで〜す!」食口達が応えました。
 「それならば、神様のプレゼントを受け取る為に大きな広い心を皆さんは備えなければなり
ません!」
とお父様は語られました。

とても明るく、希望的なみ言葉でした。どの兄弟達も大喜びでした。
お父様のみ言葉が終わりました。
 その後、最後にお父様が、ベルベディアにあるメインハウスの裏の小さな広場に日本の食口
だけが集まるように言われ、日本の食口達は皆、そこに集まりました。

お父様は語り始められました。
第一声「昨日の大会は成功だったの?失敗だったの?」
先ほど、勝利の祝賀会をやった直後のお父様の第一声でした。
確かに、祝賀会の時、全世界の兄弟姉妹達は大喜びでした。日本の食口達を除いては・・・。
日本の食口達は分かっていました。当初の目標が達成できていないことを・・・。雨が降ったとか、
嵐だったとか、それは理由になりません。

私たちは、小さな声で応えました。「失敗です!」
お父様が応えました。「失敗だよ!」
「誰の失敗なの?・・・今回の大会の総責任者は誰か?
 神山だ!神山!神山は日本人だ!だから、日本人の失敗だよ!」日本の食口達は下を向いたまま
うなだれていました。

誰もが責任を感じていました。
「次どうするの?」お父様は聞かれました。
「ワシントンモニュメントです!」小さくも力強い声で、食口達は応えました。
「そうだ!ワシントンモニュメントだ!先生はもう一度神山を立てようと 思う!今度は雨が降って
も槍が降っても勝利するんだね!!」

厳しくも、温かな心で、お父様は食口達を激励してくださいました。
「はい!」日本の食口達は顔を上げ、大きな声で応えました。

 次にお父様は、聞こえるか聞こえないかのような小さな声で、静かに話されました。

「この道は 容易い道なの? 辛い道なの?」

食口達も静かな声で応えました。
「辛い道です。」
お父様が言われました。

「辛い道よ!辛い道だから私が選ばれたんだ!
 辛い道だから私が選ばれたんだ!!
 そう思ったら、文句がない!文句が・・・」

その時、神様と共に歩んでこられたお父様の姿をそこに見ました。
辛いとき、悲しいとき、死ぬほどの路程を歩まなければならなかったとき、いつも神様を
慰め、勇気づけ、誰にもその心情を理解されることもなく、ただ一人、神様の息子として
ふさわしい道を歩んでこられたお父様の姿を・・・。

そこに集った日本の食口達は皆泣いていました。ヤンキースタジアム摂理に対する悔い改め
と、ワシントンモニュメント大会への勝利の決意、それと、お父様との深い絆を噛み締める
熱い涙でした。

いつも、お父様は神様と共に歩んでこられたのだと言うことを実感させられました。

そして、それは、昇華者家庭にも言えることなのです。
何故、神様は私を、あなたを、そのような辛い立場に立たせるのか?
私ならば、あなたならば、きっと耐えてくれる、耐えて勝利してくれる・・・
「あなたしかいないのだよ!」という神様の想い。「過去の歴史で救われない思いでこの世
を去らなければならなかった多くの霊人達を昇華式を通して、歓んで昇華者を送ってあげる
ことで、解放してあげられる。その役割を頼めるのはあなたしかいないのだよ!」という
神様の声に耳を傾け、統一食口としてふさわしい死の正しい迎え方をしてゆく必要があるの
です。先ほどのある親族が言った言葉を引用すれば「宗教を信じているのに不幸な死に方を
するなんて・・・」ではなく『正しい真の信仰を持っているからこそ、そのような道を神様
と共に歩んでいる』のです。

 真のご父母様のご家庭で、愛が死を乗り越えた「愛勝日」を迎えられたように、私たち昇華
者家庭は、昇華式を通して、我が家庭の「愛勝日」を迎えなければなりません。まさに、昇華
式は、昇華された方々の霊界への旅立ちの式ではありますが、それは同時に、送る側の復帰
摂理の中心家庭として、その使命を果たす重要儀式でもあると思うのです。
 最後に私が在米中に出会った、そして、とても感動した詩をご紹介したいと思います。

足 跡

ある夜 一人の男が夢を見た
神様とともに渚を歩いている夢だった
夜空にこれまでの彼の人生が映し出された
彼はどの場面でも二つの足跡があるのに気づいた
ひとつは彼自身のもの
そして
もう一つは神様ご自身の足跡であった

人生のほとんどの場面で
いつも二つの足跡があった

ところが
彼の人生の最後の場面が映し出されたとき
彼は
足跡がひとつしかないことに気づいた

彼は心を乱し 神様に尋ねた
「主よ、私があなたに従うと心に決めたとき
あなたは、すべての道において
私と共に歩み
いつも私の側にいてくださると約束されました。
それなのに
私の人生の一番辛いとき
一番悲しいとき
一番あなたを必要としていたときに
なぜ、あなたは私を離れられたのですか?
どうして、足跡がひとつしかないのでしょうか?」

神様は静かにささやかれた
「私の子よ!私の大切な息子よ!
私はあなたを愛している
そして
私は あなたの人生で
決してあなたを離れたことはない。
あなたが悲しみの中にあり
孤独の中にあり
辛く、険しい道のりに疲れ切ったとき
私は あなたを背負って
歩いていたのだよ!」

 これは、新約のクリスチャンの詩です。

 この詩には、お父様の生き方と決定的に違う部分があります。
辛いとき、悲しいとき、お父様は、辛い神様の心情を慰め、励まし、神様ご自身を背負って
今日まで歩んで来られたのです。
 私もお父様に準ずる統一食口として、お父様の十分の一でも百分の一でも、天の子女として
ふさわしい歩みをしてゆきたく思っています。