目下、二人三脚走をしています 本山峰司(777双)

世界があって、広大な宇宙があって、それをポケットに詰め込んで、駄菓子代わりに口に
しながら、そんな世界が、次元がある事を教えて下さった真の御父母様に限りない感謝を
捧げながら、今、広い、高い、深い、無限大の天上と宇宙を股にして、二人して夫婦して、
正午定着のゴール目指して、二人三脚走に奔走中です。その心は、天にも昇るです。

  その元はと言えば、今より三十五年前、信仰の祖国と仰ぎ見る韓国へ渡航できる歓びに包ま
れて、神の祝福結婚七七七双の一双に加えてもらった事に端を発します。原理を知った者の
一人として、神の祝福は人格完成後にあると聞いていただけに、相対が与えられる事自体が
信じられない程であり、それ自体で既に幸せの絶頂感を味わわせて貰える初々しい雰囲気が
その時分ありました。
当時の訪韓は、情緒満タンでした。下関港では久保木協会長の見送りを受け、汽笛と共に
関釜フェリーで玄界灘を越えながら一泊して、釜山港では、なんと金栄輝協会長様の出迎え
までも受けました。列車では釜山駅から始まって、大田駅、大邱駅、ソウル駅とそれぞれ
各駅で韓国食口達に差し入れと暖かい歓迎を受けながらの、希望とまた果たして祝福を本当
に受けられるのだろうかという、ワクワクの不安の入り混じった列車旅でした。

  到着するや、早速、ご父母様の満面笑みを浮かべながらの御言でホッとし、何やら受けら
れるかもしれない自信をつけたものです。「理想的カップルだけの組み合わせを実行すれば、
三分の一しか出来ないが、全員が受けたほうがいいの?」でした。勿論、「全員漏れなく、
カップルで帰れるようにお願いします」で始まりました。
私共の場合、彼女が功労者でしたので、先に立ち、彼女の主体を捜す形で、一番後方席に
座っていた私を引っ張り出して、「お前の永遠の理想相対をやるよ!」と下賜を賜り、早い
うちに七七七双の一双に入れて下さいました。

霊界からも、そして主様からも「あんただよ!」と指差された瞬間、頭の中が真っ白に
なったように記憶しております。勿論、「この者の婿になれ!」という事に対する感謝と
感激で充満されて居った事には間違いはありません。その感謝感激の余韻が、祝福修錬期間
中の十四日間、丸々尾を引き続け、同僚たちと同様、幸せ気分を噛み締め合ったものです。
 
殆どのマッチングは終わり、ホッとした所で、秋晴れの天気の下、真の父母様と共に野外
への遠足が与えられました。国民的運動の一環として道端に植えられたコスモスが、我ら
カップルの行く道々をきちんと整列を整え、そよ風に揺られつつ演じる小踊りの仕草は、
清廉、純、淡い雅、優しさと、冒頭からのろけますが、とにかく妻そのもののアクション
投影と何ら変わらないように見えました。

「そんなに我らカップルを見て嬉しいの?」と、思わず問いかけて見たくもなる雰囲気で
した。一九七〇年十月十四日、解放記念日の小秋日和の日でした。ロマンに満ちた韓国の
田舎風情を眺めながら、「今日は、格別にいい天気ですね!」と、思わずシャッターを切る
とき、また相対の少しはにかむ微笑の笑顔、「そうですね!」その柔らかい声、その一つ
一つが個性真理体の相対が放つ香りでしょうか、我が胸の鼓動も、じっとしていません。

何処からとなく聞こえる、せせらぐ出水の音と心地よくハーモニーし、その上、今日は
どうした事か、道端の雑草までが何か特別に装いを扮してくれてるような、そんな気持ちに
も襲われました。
どれくらいの距離を歩いたのでしょう。そんな中を行き着いたとき、「今日は先生にとって
解放記念日、此処の所に将来、学校を建てるんだ!」と。
かくしてルンルン気分の幸せ絶頂感行脚。そのとき味わった心情の想い出は、後々も消え
る事はありません。毎年、早秋のその時期が近づくと、早々とコスモスを見つけては、「思
い出しますね、私達の結婚の時を!」と、相対者は必ずそう言い寄ってきます。他界された
今も相も変わらずです。

ですから私にとって早秋といえば、「コスモス、相対者、美代子さん、美代ちゃん、ミコ
ちゃん、お母さん!」なんです、ダブって見えるのです。いとも簡単に恍惚境に入ってしまう
のです。
その花びらの色合いや微妙なニュアンスに相対の微笑みを見るがごとくです。いい年をして
いるのに、二人だけの出会いではいっこうに年を取らず、初々しさが残っております、若さを
保っておるのです。
  
二人共に大分の田舎が生まれ故郷ですが、コスモスが咲く時分、ビジネスで熊本や福岡へ
出かける事がありますが、そんな時、敢えていそいそと霊人の彼女と二人して田舎道・農免
道路を選んではドライブ気分で必ず出かけます。そんな事ですから二人して、それが地球の
裏側まで出かけて行っても、これも実験済みですが、大湿原の南米パンタナールに行っても、
釣り糸を落としているその時でも、竿の先のほうから、「お父さん、こんにちは!」なんて
言いながら水面から微笑み顔を出してくるのです。

時として瞬時ですが、相対を忘れる事があります。そんな時に限って微笑み顔でヒョッコリ
現れるのです。そう言えば、パラグアイ河で金の魚、七十cmのドラドを釣りあげた事が
あります。事もあろうに賞金がかかった釣り大会の最後の日の終了間際での出来事だっただけ
に、余計に最高にエキサイトしたのですが、あれは今思うにやはり妻の協助そのものによる
賜物と思っています。人もそう言ってきます。
妻の他界後、忙中閑、こんな類の恍惚境の生活は今も続いています。やはり信仰祖国での
コスモス花に出会ったお陰なんですね

妻が旅立って、かれこれ十二年を越えていますが、デート気分を味わえるし、しかもいつも
新鮮味があるのです。時として、「寂しく感じる時がありませんか?」と問われることがあり
ましたが、「寂しくはないんです、と言えばウソになるかもしれませんが、そう言う分野も
あるんですよ!」と応えております。

こんな気持ちですので、天と真の御父母様に対しては勿論ですが、昇華した妻に対しても
いつも感謝の思いです。そしていそいそと目下、天宙を股に二人三脚走をしています。あの世
はこの世の延長上であると言われますが、とてもそれを実感します。またあの世に居るのか
この世に居るのか、時々迷う事があるほどです。

ですから、あの世では、この世の殻を脱げば自由に夫婦して飛び廻れる世界なんだと言われ
る御言を確信せざるを得ません。
ついでながら、私達夫婦は、お互い天上においても地上においてもやる事が多くて忙しい身
ではありますが、必要に応じていつも時空を超越してデートしております。
大体、その多くは早朝四時から四時半の間が多いように思います。最近は三時から四時ごろ
に変わりつつあります。基本的には時間を超越している気分でもあります。ですから先にも述
べましたが、本当に自分は一体霊界に居るのか地上に居るのか、分からないそんな気分に襲わ
れます。

私は最近、一年がかりで文師の生涯と理念と業績を、更にはその信仰子女の裾野紹介及び
祝福結婚の意義を紹介する訓読CDをつくりました。この製作期間中、妻とのデート時間でどれ
だけいろいろな助言を受けてきた事か計り知れません。このデート時間がなかったら、今出来
上がっているような物は無かったと思います。完全夫婦合作品の訓読CDです。 
  最近、それのスペイン語訳をホンジュラス宣教師にお願いした時、「相当に神がかって作られ
たものですね!」と感心されるようですが、そのポイントは、実は此処にあった訳です

さて一般でも結婚式は、第二の人生の門出を祝うものと言われます。その時の祝いの花が私
共ではコスモス花だったのですが、第三の人生、新世界への旅立ちの門出を祝する花はと言え
ば、彼女の誕生花と同じく桜の花です。

一九九三年四月の上旬、卵巣癌の宣告を受けて以来、二年間延命して桜花爛漫の時節に昇華
しました。「お父さん、覚悟は出来ていますか、準備してね、来年の春、四月の初め頃よ。先
に行きますからね、高島易学からもそのように出ていますよ」と言ってくるのです。 

私としては、別に普段と変わらない、それこそ二年間、何の痛みも覚えることなく、病人とは
思えない風袋振りからして、「それはない、きっと治るよ!」と強がるものの、妻の予言通り、
そして実際それこそ眠りよりももっと静かに、私や娘の見守る中で息を引き取って逝きました。

咲き誇りきった桜花の花びらが静かにフワリフワリ、ヒラヒラと音を立てるでもなくゆっくり
と地に落ちていくようでもありました。その花びらで自ら絨毯を敷き詰めて、遠くへとてもいい
所へ行っておられる、そんな風情すら思い浮かべられるようでもありました。
今思うに、多分彼女の分身、しっかりものの長女がこうして傍に居るから、ゆとりが出てそんな
恍惚の錯覚に襲われたのかとも思います。
明るい死でした。興進様昇華以後、与えられた恩賜、「帰歓、昇華」の言葉そのものでした。
当然、実際、送る式典もそれらしさを反映できるよう、とりわけ飾り付けに関しては、専門家を
さておいて、自らが詳細取り仕切りました。出来るだけ明るい欄の花に、白や黄の菊等は少なく、
或は避けて下さいとか。

初めての告白にもなりますが、「妻は夫に対しても桜花の花びらの如く、完全に咲き誇りきって
散ったのです! 子供達に対しても自慢の母でしたと言われるだけの事を成したのです! これ
からは御旨の道、第四コーナー即ち、天宙を股に掛けて先駆けて私との二人三脚で引き続き走ら
れるのだ!」等々を核心として、そんな妻である事を誇りながら、これからの門出を祝するのだ、
いわば、壮行会だと考えながら、過去のこの世的感覚は失礼ですが完全無視を決め込んで、新し
い開拓の道として、すべての事を運んだように思います。

また我が一族郎党は勿論、教会員の皆さんにも復活するよき場が与えられたと思います。
不思議と冷静に落ち着いて、事を取り仕切ったように思っています。
 すべてが終って、落ち着きを取り戻した時点では、やっとその夫らしく泣き崩れる事も正直言っ
てありました。何かもっとして上げなければならない事もあったのではないだろうかとか、
アメリカに足掛け五年単身赴任で行って帰って来て、まもなく、妻は当時四十三歳でしたが、
「お父さんとの愛の結実だったら、自信があります、六人目が欲しいですね!」とか、それに対し
て、「うーん」と生返事で終わった事などが思い出されて来るのです。

 私としては夫冥利に付きましたが、高齢出産では、もしもの事を考えてしまったのです。「愛が
知に負けた!」この不信仰が妻をして病気に至らしめたのだろうかとか、そんな思いが交錯した
こともあります。
 妻の霊の子は無二の学友でしたが、その彼女は晩婚でしたので初産が四十八歳です、それを
知っていたので、そんな思いもよぎりました。今でもどうすべきだったのか結論を持っていません。

 ただ言える事は、当時はいざ知らず、今となってみると、あの時、先駆けて霊界へ行けた事で、
むしろ幸運な家庭になったのではないか。彼女自身、余りにも霊界で大活躍できたではないか、
霊界に疎い私の霊性が相当に啓発されるようになったのではないかとか、何よりも子供達が立派
に成長してくれている事が、賜物の何物でもありません。

 また元々真の家庭の前に負債が多い我等ですから、それを思えばとか、とりわけ興進様が他界
された後の一九八四年の当初、実は、韓国全土で七百万人勝共会員獲得の為の国際勝共機動
隊が世界七十二カ国から急遽総動員編成されたのですが、その時の隊員の代表として総団長を
仰せつかった事があります。その関係で妻は私の代りにお仕え下さってるのかなとか、やはり
あれこれ考える事もありました。

 これからの最後の復帰プログラムの長成期四年限定復活期間を思うとき、この期間の為に先導
役の一翼を担うべき先輩家庭としての役目を前もって、敢えて二人三脚路程が与えられたのでは
なかろうかと思う事もあります。ですから御旨の中で妻が地上に居ない事を寂しく思ってはいけ
ないと自分に言い聞かせております。こうした発想も、元はと言えば、実は遠因があるのです。

 私達夫婦は早いうちにマッチングが決まったものですから、水択里修錬所の壇上に上がって、
お父様からいろいろな批評を受けたのです。どうしたことか、「この男には、こうした所があるん
だよ、だから、あんたは神様に侍るように絶対付いていけ!」だそうです。
 只でさえ、人の相対に立つ事においては、天下一品の素質を持つ彼女です。其処へきて、お父
様の御言があったものですから、余計拍車がかかりました。どちらかと言えば、主体性の強い私
でしたので、余計に相対的立場に立ってくれる彼女にはすっかり尊敬の念を持って、彼女の虜に
ならざるを得ない自分を見ました。

    論より証拠、五人の子供達もこぞって、「お父さんを見ていると、お母さんがいつも傍に居る
ようだ!」と言ってくれるのです。別の言い方をすれば、「お父さんからお母さんを抜いたら、
もぬけの殻同然でしょうね!」と言うのです。然り、アーメンです。その為かどうかは知りません
が、子供達は、「理想の妻としての女性像は、"お母さんです"」と、嫁達の前にも憚らず言うよう
です。

 ですから、子供達には神様とお母さんがダブって見えて、いつも傍に居て見守ってくれていると
言う信仰を持っているようです。彼女のお蔭で父母冥利に尽きます。実際、子供達を見ていると
お母さんがいつも見守ってくれているなあと痛感させられます。私自身はと言えば、殊勝な事に、
そんなお母さんの主体者として、ニ、三十年余分に地上に生き残って、真の父母様に孝行できた
時、始めて美代子さんの主体者として、相応しい夫になれるかなと、余生の努力目標にしていま
す。如何にして夫婦して永遠に神の懐に抱かれる者となるかが、今の私達の信仰生活を支える
屋台骨であるから、当然といえば当然かもしれません。

 今回の真の御父母様の世界百二十カ国巡回講演ツアーでは、妻との一心一体的二人三脚走が
因で必ず導かれる、二千五百億の善霊界が激しく協助するはずと信じて、任地国ホンジュラス
へと単身で乗り込んで行きました。「恐れるな! ニネベのヨナを思い出せ! 叫べ!」を
徹底したのです。

 実際は、結果的に大協助と言うより大引導を受けたと言ったほうが相応しいかも知れません。
大成功でした。過去四十年の信仰生活では味わった事のない新しい次元の神体験でした。
 ポイントはやはり霊界と地上界を結ぶ天宙の代表的家庭であるべき我が心と体の壁突破の
信仰生活に、さらに、夫婦の壁、親子の壁、三代圏の壁突破生活に鍵があると感じております。
 そういう意味では、五人の子供達家庭に対しては勿論、今、長男嫁と三人の孫たちと還故郷地
にて同居の生活をしているのですが、限りなく婿、嫁たちや孫達にも感謝しております。

 最後に、これらの中米ホンジュラスでの一連の証し報告の場を、幸いにも「南北米福地開発
協会」九州月例集会の場で、プロジェクターを使って説明する事が出来ました。そのとき、
思いがけずに大先輩のK氏とその前の晩は一緒でした。そのとき何処からともなく、夫婦談義
の話となりました。かなり細かい詳細に及んでの話です。
 そこでK氏いわく、「寂しいのではないかと、老婆心ながら心配していたが、全然、そうじゃ
なかったんだね!」と言われました。霊人妻との夫婦生活については、この言葉に集約されている
のではないでしょうか。

*訓読CDに関心のある方は、本山峰司さんにご連絡ください。
chonirgukjuin214@image.ocn.ne.jp