夫婦愛の完成をめざして  細田モモ子(1999年霊肉界祝福)
 1999年2月7日、細田モモ子さんは、霊肉祝福を受けました。その後しばらくは、
霊界の夫が地上に来て、一緒に生活しているのを感じたと言います。
 2007年に入ってからは、昇華した酒井敏江さん(ファミリー2005年10月号
からの連載の「いつも一緒ずっと一緒」に登場)の協助により、霊界の夫と少し会話が
できるようになりました。
 以下は、霊界の夫と交流しながら生活している細田さんの、結婚から現在に至るまで
の証しです。

霊肉界祝福から8年目の体験

 霊肉界宣布式を背景とした4大聖人の祝福の恩恵により、霊肉界祝福の道が開かれ
たのが、1999年2月7日です。
 この日、霊界にいる夫と霊肉界祝福家庭として祝福を受けさせていただきました。
夫は1991年2月7日(享年49歳)に他界したので、それからちょうど8年目のこ
とでした。
 今、3200億の絶対全霊が地上の家庭に定着し、協助体制に入っていると言われて
います。その中に夫がいて、目には見えませんが、家族や氏族を守り、協助していると
言えるでしょう。
 わたしにとって2007年は、霊界の夫と会話をするという歴史的な年となりました。
現在、霊界の夫と交流しながら毎日生活しており、霊界と地上界で夫婦愛を高めながら、
将来の永生を楽しみにしています。
 霊界にいる夫との交流を感じながら昔を振り返ってみると、偶然とは思えない忘れがた
い思い出がいくつもありました。

夫との出会いと結婚

 わたし達夫婦は、故郷が同じ秋田県で、親戚同士であり、親同士がいとこという珍しい
結婚です。それもそのはず、仲人は親戚の呉服屋のおじさんでした。
 夫は、東京で機械工具の問屋に勤務し、結婚したら独立して商売を始めようと、お嫁さ
んを探していました。そこで、年齢的にも近いわたしが候補に挙がったのです。
 本人よりも親同士、親戚同士が合意して喜んでしまい、あれよあれよという間に結婚に
至りました。
 結婚式は一月三日のお正月にとふたりで決めました。「だれが決めたのだ、この忙しい
ときに」と言われましたが、結局は東京からも夫の関係者が大勢きてくださり、田舎では
盛大な結婚式となったのです。このとき、夫は23歳、私は19歳でした。

 その後、東京の小さなアパートで結婚が始まりました。日曜日には生活道具をふたり
で買いに行き、新しい人生の始まりを感じていました。日本は高度成長期でした。
 夫は、ご飯を炊いたこともないわたしに炊き方を教えてくれたり、魚のおろし方まで指
導してくれるとてもやさしい人でした。
 釣りが大好きで、いわし、たい、ぶり、かんぱちを釣ってきては、自分でさしみを作り、
「一緒に食べよう」と言ってよく食べたものです。

 ゴルフでは、賞金どろぼうとあだ名が付くほど、毎回、賞品を持って帰ってきました。
日本でオリンピックが開催されたこの時期は、国もわたしも幸せだったような気がします。
 何不自由なく暮らしていても、頂点まで上れば下りてくるしかありません。
 付き合いの多い夫は過労とお酒から肝臓を患い、入院生活が始まりました。気付いた
ときには、すでに、がんは肺に転移しており、わたしは希望を見いだすことができません
でした。

 わずか半年の入院生活を経て、夫は他界しました。その後、二人の子供を抱え、女一人
で生活する困難を味わいました。これも味わった者にしか分からない世界かもしれません。
 わたしが霊の親と出会ったのは、夫が他界する二年半ほど前の1988年6月16日で
した。
 苦労が実ったのでしょうか。夫の商売がうまくいかなくなって、やりたくない仕事でも、
何でもしなければならず、わたしなりに忍耐の時期を過ごしているときでした。
 今まで、このような人と会ったことがありませんでした。愛情が全身からあふれていて、
何でも話したくなる優しさを持っていたのです。それでいて、知識豊富で、正に神様との出
会いでした。わたしは、吸い込まれるように「原理」を学び、入教したのです。信仰を持つ
のは初めてでした。

 夫が他界するまでの期間、何度もみ言を伝えようと思いました。しかし、あっという間に
時は過ぎ、伝えられないまま夫は霊界に行ってしまったのです。

マッチングを破棄することに

 1995年、私は36万双のマッチングを受けました。教会長や家族の薦めもあって、新
たな出発を考えたのです。
 このとき、夫への思いは残っていましたが、意を決して神様の懐に飛び込んだのです。
夫が他界して5年目、わたしは46歳でした。年齢的に無理な場合もあると言われていま
したが、「細田さん。お父様がマッチングをしてくださいましたよ」と連絡を受け、本部
に向いました。
 ところが、急に夫への思いがどっとあふれてきました。そして、いっときもその場にいら
れなくなってしまったのです。
 その後、わたしは教会長に連絡し、おわびしました。今、思うと霊界からストップがかか
ったような気がします。
 それからというもの、真のお父様の願いにこたえられなかったこと、相手のかたに申し訳
なかったこと、夫への申し訳なさなど、悔い改めの涙の日々が続きました。

感動の一日を迎える

 1999年2月7日、神様は霊肉界祝福の道を与えてくださいました。霊界にいる夫と祝
福を受けることができたのです。
 韓国ソウルのオリンピックスタジアムで、真のご父母様の主礼により、3億6000万双
と共に霊肉界祝福式が行われました。身も心も温かく、忘れることのできない感動の一日を
迎えることができたのです
 祝福を受けた霊人たちは、興進様の100日修練会に参加して、それから40日後に家庭
出発ができるということでした。

 わたしは、清平での家庭修練会に参加して夫を迎えました。そのとき、会場で大母様のメ
ッセージがありました。

「今、霊人たちを愛の木の下に集めて待たせてあります。これから入場してきます。」
この言葉の後、大母様は霊人たちを整列させ、夫は右側、妻は左側に並ばせました。
 会場では、いろいろな霊的現象が起こり、夫の足音を聞いた人、たばこのにおいを感じた
人、声を聞いた人、腕が熱くなった人など、不思議な現象が次々と起こりました。霊人たち
は退場するとき、大母様に「ありがとうございます。」と、言葉をかけていったそうです。

 たくさんのメッセージを伺いましたが、今でも心に残っている言葉があります。
「相対者を、生前の悪いイメージで絶対に見ないでください。」
「皆さんよりも清い姿で、絶対善霊として教育されています。基準を合わせてあげます。」
「皆さんが昇華される時は、必ず迎えに行きますので、何の心配もいりません。」
 どれほど感謝だったでしょうか。それぞれが、夫婦として一緒に日本に帰りました。

愛と関心で通じる世界

 帰国後、生活する中で夫と一緒にいると思う意識があったので、少し緊張感もありました。
目には見えませんが、気配で分かるのです。このように霊人と共に暮らす世界があること自体、
本当に不思議でなりません。

 夫は毎晩のように夢に出てきてくれました。その姿は若く、30歳前後のように思いました。
生前とはまるで違う姿です。いつもにこにこしていて、うれしそうでした。
 ある日、夫が「5年間、台湾に行ってくる」と言って、出て行ったのも気配で分かりました。
時々帰ってきたのも、夫婦生活を通して知ることができたのです。

 霊肉祝福家庭のかたは、わたしと同じようにそれぞれたくさんの証を持っています。
霊的交流という言葉は、霊界にいる相対者との通信(思いの会話)を意味しています。愛する
相対者と本当に会話できるのか?通じあえるのか?誰もが疑問に思うことは、言うまでもあり
ません。
 しかし、霊的交流を通じて、地上にいる時以上に夫婦の愛をはぐくみ、幸せに過ごしている
カップルは意外に多いようです。

 夢のような話ではありますが、今の時代的恩恵でもあり、実際に可能であり、だれでもでき
るのです。わたしも、その一人として霊的交流に至りました。

 ファミリー(2005年10月〜2006年6月号)に連載された「いつも一緒、ずっと一
緒」を愛読された方も多いのではないでしょうか。
 わたしは、この霊界と地上界で交流する酒井さん夫婦の連載を読んで、「なんて幸せそうな
家族なんだろう。こんな幸せな家族もいるのね」というのが第一印象でした。そこに、とても
暖かい夫婦愛を感じました。霊界と地上にいながら、夫婦が愛し合い、家族を思い合い、昇華
前と変わらない、むしろ生前より強い愛情で結ばれています。何か、ほのぼのとした幸せ感を
与えられたのです。

 わたしも夫が霊界にいるので、この夫婦に重ね合わせてみました。夫もきっと地上にいるわ
たしたち家族を見詰めながら心配したり、考えたりしているのかもしれないと、しばらく夫に
思いをはせていました。

 「いつも一緒ずっと一緒」の連載はやがて終了し、もっと続けて欲しいと残念に思いました。
 その後は、昇華された酒井敏江さんを思い、いつも敏江さんに話しかけるようになったので
す。

「幸せですね、こんなに愛されて。そちらでは毎日どのように過ごされているのですか?突然
のことで驚いているのではないですか?地上を見られて、どのように思われますか?」
 返事はありませんが、毎日、好意を持って話しかけました。愛と思いが強ければ強いほど、
相手に通じるものです。霊能者とは全く違う、愛の力の世界を感じるようになっていきました。

 ある日、お風呂でゆったりしながら敏江さんを考えていました。すると、
 「霊人たちのほうが寛大で清いのです。なぜでしょうか?それは神様の愛の圏内にいるから
です。」という言葉が頭に入りました。
「今のは何だろう?自分が思ったのかしら?」と独り言を言ってお風呂からあがりました。
その後も敏江さんへの思いは熱く、いつも意識していました。というのも、「突然の昇華」
と書かれていたからです。同じ女性として、妻として、母として、自分が敏江さんと同じよ
うになったらどうだろうか思っていました。

 やがて時々、自分ではない思いを感じるようになりました。
 「夫婦は支え合えるようになっているので、思いやりをもって尽くすこと。夫婦が永生す
るには愛の基準が非常に重要です。夫婦愛の完成を目指して、一緒に夫を成功させましょう」
 わたしはこのとき、これが霊的交流なのだと思いました。この体験を通して、いつも意識
を絶やさないようにしながら、霊界の酒井敏江さんと、ときどき交流しています。交流が
できるようになると、とても楽しいものです。普通の会話と変わりません。

初めの頃、悪霊現象ではないかと思い、何度も何度も質問し、慎重に対応していました。
本当に敏江さんであることを確認するために、愛苑会の昇華者家庭懇談会の集会で
酒井達夫さん(敏江さんの夫)と面識を持ちました。そして、話し方や性格から考えて、
確かに敏江さんであると確認できました。

霊界の夫との会話

わたしは、肝心の夫との交流を強く願うようになりました。敏江さんに「夫とも交流出来
るようになりますか?」と質問すると、「誰でも交流できるようになります。あきらめない
で話しかけてください」と言われました。

 夫は、他界して16年になります。意識し、愛しているつもりでしたが、「どれだけ本心
から夫を愛しているのだろうか?」「会いたくて会いたくて、夢でもいいから会いたいほど
の思いがあるのだろうか?」と自分に問いかけました。
 亡くなったときは、信じられない思いや、寂しさやつらい思いがありました。しかし、時
がたつと、生活に追われ、忙しさに追われて、相手のことを忘れてしまいがちです。

 「これではいけない」と思いました。愛する努力、意識を持つ努力をしようと思うように
なったのです。
 霊界の夫に手紙を書いてみたり、生前の楽しかったこと、苦しかったこと、夫婦で過ごし
た旅行など、夫への思いをいつも持つようにしました。そして、毎朝、夫にあいさつをし、
話しかけました。

 3ヶ月ぐらい過ぎたころでしょうか。「大丈夫だよ、俺がついているから」という声が聞
こえてきました。夫だとすぐ分かりました。
 この時から、かなり頻繁に交流できるようになりました。電車の中でも、仕事中でも、
夫は時々やってきます。その会話は、次のような内容でした。

「そちらから私たちを見て、どう思っているの?」
「良く頑張ってくれていると思っている。感謝してるよ」
「孫のヨシ君の発表会、一緒に行こうよ」
「ああ、いいよ」
「今度、昇華者家庭懇談会で紅葉を見に行くから、一緒に楽しもうよ。
デートで紅葉は初めてだね」
「俺も嬉しいよ。楽しく過ごそう」
「私たち霊界で基準を合わせて、永生できるかしら?」
「大丈夫だよ。迎えに行くから」
「基準が下がり、いろんな思いが来て苦しいから、助けて!」
「大丈夫だよ。悪い霊は絶対善霊を見ただけで逃げていく。
み旨が忙しくて、いつも一緒にいるわけじゃないから、何かあったらすぐ呼びなさい。」
「あなた、私に望むことは何?」
「おまえはまじめでいいけど、男はみんな、支えて尽くしてくれる女性を好むんだよ。
男はなんといっても、自分の女房を一番愛してるんだよ。だからどんなことがあっても
信じること。信じられなくなったから心が離れてしまったんだね。今でも愛しているよ。
子供たちを立派に育ててくれて、ありがとう。」

 わたしは祝福を受けさせて頂いてから、夫婦の愛情が深まっていっていることに気が
つきました。とても幸せを感じています。
霊界の夫と交流しながら、さらに夫婦愛の完成を目指して行きたいと思っています。
 霊界から私を助けてくださり、霊界の夫との交流ができるように、さまざまなアド
バイスをしてくださった霊界の酒井敏江さんにも本当に感謝しております。
 霊肉祝福で、こんな奇跡的なことになり、ただただ、神様と天地人真の御父母様に
感謝です